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心の中の碧い海/舞台ダニーと紺碧の海感想(ネタバレ含)

昨夜はベッドの上で音楽を聴いてなぜかやたら泣いていた。

私を取り囲む音楽はみんなどこか反抗心に満ちている。なにが不満でこんなに胸が苦しいのか、わからないまま泣いて夜は明けて、翌日何事もなかったかのように生活して、また重たい何かを背負って、音楽を聴いて泣くのだ。

昨夜は特に胸がいっぱいで仕方がなかった。25歳なのに親離れできないどころか、親に監視されるような生活を繰り返していること。他人とうまく接することができないこと。精神薬無くては生きていけないこと。どこか自分の頭が浮世離れしていること。

そんなことを、いろんな音楽を聴きながら、思い出して、眠れなかった。

ウキウキしていたのもある。

翌日16日、つまり今日は、楽しみにしていた松岡昌宏主演舞台「ダニーと紺碧の海」の公演日だからだ。原作脚本も読んでいたく気に入った。

私はもうその時点で、主人公ダニーとヒロインのロバータに、救いを求めていたのかもしれない。

 

舞台が始まる前、席に座ってずっと目の前の舞台セットを見ていた。机と椅子がいくつかあって、奥にベッドがあって。ここでこれからダニーとロバータが座ったり喧嘩したり愛し合うのかと想像して、開演前からとても幸せな気分になった。

なぜ幸せな気分になるのか、その時点では輪郭が曖昧だった。

穏やかなピアノのBGMが響いて、舞台は始まった。

 

ロバータが、バーのつまみを食べているところから始まる。

まず、私の席は出入り口のすぐ近くにあって、そこから突然ダニーが現れた。いわゆる花道、というものだろうか、目の前をダニーが通り過ぎて行った。

その時まだ私はダニーを「松岡昌宏」として見ていたような気がする。凄い筋肉だ、とか、背が高い、とか、人並みのファンのようなことを思った。

とにかくずっしりしていた。

バーでのダニーとロバータの会話は、突然憤怒したり、突然人を殴った自慢話をしたり、突然自分の置かれているひどい状況を嘆きだしたり、とにかく激しく唐突なものが多い。

今思えばそれが自己紹介的な介入演出だったのかもしれないけれど、私には脚本作者の叫びに聞こえた。叫べないけれど喉の奥から大声で叫びだしたい、気が狂いそうなほどの焦燥感。

ロバータは声を震わせて言う。

「突然叫びだしたくなるの。わかる?」

意味もなく、獣のように。それは、窮屈から生まれるものだと私は思う。

一方ダニーは白目がちの目をぎょろぎょろさせながら、そのずっしりした身体を酔いと共にだるそうに動かしながら、時に奇異な行動をとりつつ、ひたすら自分の話をする。相手の話なんか聞きたくないとでもいうように。

そんな二人も、ふとシラフに戻るときがある、でも、またすぐに奇行を始める。

恥ずかしいんだろうか、見せたくないんだろうか、どれが自分なのかわからないのだろうか。

やがて二人は、自分たちの気が合うことにうっすらと気付き、だんだんテーブルの距離を縮めていく。警戒しながら。他人を拒みながら。

「呼吸を意識すると息が苦しくなるんだ!!苦しい!!」

「(ダニーに首を絞められながら)もっと!!」

やがて観客は「この二人はいつ死んでも構わないような心持ちの人間なんだ」とうっすら思う。しかしきっと死を望んでいるのではないのだ、得体の知れない心の恐怖や不安に、締め殺されそうなだけで。

 

そしてひとしきり吠えた二人は、お互いと話す居心地の良さに気付く。

そこでロバータは家に招きダニーに提案する。

「今夜だけ、二人でロマンチックになろう」

 

また穏やかなピアノが流れ、二人はまるで普通の恋人のように、夢のように、優しく名前を呼んで、愛をささやき合う。

私はあまりの美しさに終始泣いていた。あまりにも二人が幸せそうだったから。

ここで思い出した。なぜ私は開演前からっぽの舞台セットを見ながら幸せな気分になっていたのか。

他人の幸せに、もう見えなくなっていたのだ。怒鳴り、苦しみ、うずくまって泣き出し、人を傷つけて、

そんな二人の、一夜だけのあまりに幸せな世界。

ダニーはロバータの部屋の棚に置いてある花嫁人形を持ち上げ、さも愛おしそうに言う。

 

「俺は、花嫁になりたいんだ。結婚式を見に行ったことがある。きれいな白いドレスを着て、みんなに祝福されて、綺麗なばらの咲いた庭もある。着飾った子供たちはライスシャワーを花嫁になげる。やさしく。すごく…幸せそうだった」

 

涙が止まらなかった。認めてほしい。幸せになりたい。幸せの象徴が結婚式として描かれているが、恋愛なんて関係なく確かだとおもった。ウエディングドレスは綺麗だ。花嫁は綺麗だ。これからの、過去のしがらみなんか関係なく、その瞬間だけは、すべての人がおめでとうと言ってくれる。許してくれる。心や景色が、やさしい、美しいものでいっぱいになる。

ダニーはロバータにプロポーズする。OKの返事をしたロバータと手を取り合って、喜ぶ。

 

いくら苦しい日々にまた潰されることがあろうと、この舞台のこの場面が、文として、舞台として存在している限り、私はまだ生きて行けるような気がした。結婚願望なんて塵もないけれど、この二人はきっと夢の具現化だ。苦しいときに逃避する、きらきらした世界の具現化。それを目の前で、手の届くところで見られた。幸せで胸がいっぱいになって、泣きながら微笑んでいた。

 

そして翌朝ダニーはロバータに結婚を本気で申し込む。ロバータは昨日のプロポーズは嘘っぱちと言う。でも本心、彼女は結婚を望んでいることをダニーは知っている。やさしく諭す。

 

「誰も私を許さない、私は性悪なの、罰なの!!!」

 

「じゃあ俺がその罰を許すよ。みんな、みんな許す」

 

そして二人は親族も知り合いも呼ばない結婚式の約束をし、幕は下りる。

何度も許すよ、許すよ、と泣きじゃくるロバータに繰り返すダニー。

これは、あかの他人同士だったから成立する会話だ。憎むべき人に「許すよ」と言われても、私は嫌だし許せない。だから、この舞台の脚本家ジョン・パトリックは、きっと許してほしかったのだ。空想の世界で、空想のどうしようもない恋人たちに、どうしようもなくたって大丈夫なんだって、許してほしかった。救われたかったんだろうと、きっとそう思う。

だから神さまが存在するのかな、なんてことも思った。

終盤、もうずっしりとした印象の最初のダニーはいなかった。ただ、穏やかで、慈悲に満ちていた。

私を取り囲む音楽はみんなどこか反抗心に満ちている。なにが不満でこんなに胸が苦しいのか、わからないまま泣いて夜は明けていた。

でも、今はわかる。

 

今は嫌いな親のことも、ときに消えたい現実のことも、音楽が叫んで、吠えて、許してくれるのだ。音楽という、憎むべきものとも、悩むべきものとも何の関係もない天使たちが。

 

舞台は全体的に薄暗かったし、あまり色もなかった。

「紺碧の海」は、見た人の心の中で広さも色も測るんだと思う。

 

激しく、苦しく、やさしく、泣きそうな、素敵な舞台でした。ありがとう。